まぁ一旦落ち着こう

多くの人は、何かをしていないと焦りを感じる。僕ももちろんそうだ。生産的な活動をしていない自分に、どこか罪悪感を覚えてしまうのだろう。よく言われる「無価値感」というやつだろうか。
社会的な価値は時代によって変化するものだが、今の経済社会においては、生産的でなければならないというプレッシャーを感じずにいるのは、よほど鈍感か、あるいは時代の先駆者だけではないだろうか。だが、そのプレッシャーに駆られ、特に必要でもなく、やりたくもないことに一日の大半を費やしているとしたら、それは単なる「無駄」を超えて、巡り巡って社会全体の害にすらなり得るのではないかと思う。
とはいえ、「だからやめたほうがいい」と言っても、簡単にはやめられないのが人間だ。そして、「やめられないものだ」という思い込みを抱くのもまた人間である。でも、もし僕たちが「焦らないこと」「焦りから何かを始めないこと」を実現できたなら、新しい時代において輝ける居場所や役割がきっと生まれると信じている。
では、その変化をどのようにして起こしていけばいいのか。まず、生産的であるかどうかを判断する基準とは何かを考えてみよう。分かりやすい基準としては、結果や成果 が挙げられる。たとえば、「売れた」「多くの人が集まった」「フォロワーが増えた」など、他者が目に見えて評価できるもの。また、「休んでいない」「忙しくしている」など、自分自身が主張したいものもあるだろう。
いずれにせよ、どちらの基準も 評価のものさしは他者側にある。そして、多くの人に評価されようとすればするほど、それは一般的で従属的なものになってしまう。こうした状況こそが、人々が焦り、我慢を美徳のように感じる原因なのではないかと思う。これは極めて不健康な仕組みだ。
これをどうにか健康的な判断基準に変えていきたい。そこで思い立ったのが、「納得度」と「没頭度」で測るという基準だ。
自分がその行動にどれだけ納得できているか、どれだけ没頭できているかを基準にする。他者に対しても同じように考える。違和感を抱いたままにしないこと、納得できない状況を放置しないこと。そして、向き合っているものに集中できているか、探究心が湧いているかを見つめていく。
時代が変わり、社会が変わり、価値基準が変わったとしても、「納得」と「没頭」を大切にする人は迷わない。そして、普遍的な価値を生み出し、信頼に基づいた人間関係を築くことができるはずだ。
SAY YES は、そんな「納得」を大事にしたコミュニケーションが生まれる場として機能したいと考えている。焦って周りに合わせることで、結局は都合よく使われるだけの立場になってしまう。もちろん、そんな状況で「没頭」できるはずもない。
SAY YES は、現在のところ友人と呼べる人たちにのみオープンしています。また、このメルマガのサポートメンバーは、僕たちがやろうとしていることにイイネ!と思ってくれていると勝手に理解したうえで、お店の場所を公開しています。ご興味ある方はよろしくどうぞ。
今は 「生産」に縛られず、「納得」を探求していきたい。
SAY YES.
2025.02.19.snow
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